元気モリモリブログ

元気いっぱい

2020/12/29

この1年間いろんなことがありました。

から5ヶ月。いろんなことがありました。

 

転職し、鹿児島から福岡に来ました。

いまは事務職員としてノーストレスの日々を送っております。手当が厚く、給料も上がり、最高です。

 

転職活動していたのが4月〜6月、内定が決まったのが8月末、そこから退職、引越、新天地でお仕事なので、マジで怒涛のいろんなこと。いろんなことが怒涛。今年はコロナで大変な1年だったけど、個人的にも大変というか、忘れられない1年になった。

 

そこで、誰も求めていないかもしれないけど、じぶんの転職について書く。

あらかじめ断っておくと、これは転職についてあくまで僕個人が思ったことや行動したことであって、それらを整理しておきたいという気持ちによるものが大きい。だから、よくある「転職成功談」とか「転職メソッド」とかとは性格が異なるので、それらを期待してぜ〜んぜん役に立たなかったと言われても困る。

 

 

まず先に言っておきたいのは、転職というのはべつに偉いことでもなんでもないということだ。それは選択肢のひとつに過ぎないし、また仕事を続けるというのも選択肢のひとつに過ぎない。超ブラックとかパワハラが横行しているとかで一刻も早く離職したいとかならまだしも、「みんなも俺と一緒に転職しようぜ!」なんて無責任なことは言えない。それは転職という行為を他人を巻き込むことで正当化したいという、心の弱さでしかない。

 

なぜ僕が転職したかというと、入社当初から長く働き続けるつもりはなかったというのと、会社の置かれている状況と業界の行く末は暗いなと思ったこと、そして最後まで社風が合わなかったこと、の3つだと思う。

なぜ長く続けるつもりがなかったのか?それは、僕は僕を大切にしているからである。

 

あ!笑いましたね。でも、こう思っているのは本当で、「ずっとここにいるわけじゃない」「命まで取られはしない」と、おおげさにいえば自分に暗示をかけていないと、理不尽とやっていることのむなしさに押しつぶされそうだった。だから、下積みとして「とりあえず3年続けよう」と考えた。結果的に4年半在籍することになるのだが。

しかし、これくらいの力加減でよかった。数十年も続けるつもりはないから、短期集中で仕事を吸収しようと奮起できたし、煩わしい関係もシャットアウトすることができた。

 

 

民間だと当たり前だが、毎期、半端ではない量のノルマを課される。ノルマは、それを乗り越えるために計画を練ったり協働したりすることでスキルアップや成功体験につながるものなので、一概に悪いものとはいえない。しかし到底達成できないようなそれは、家族や友人にお願いセールスをしろというメッセージが含まれている。そんなことしたって一定期間経てばみんな解約するし、だいいちニーズに沿っていない。企業利益として何の意味もないことは誰しもわかっている。それでも課すのは「こいつはやれと言われたらやる人間か」のふるいにかけているからである。

僕は新人の頃どうしても件数が足りず、今日中に確約を取れと言われ、上司に睨まれながらほうぼうに電話した。このとき協力してくれた人たちには本当に頭が上がらない。同じアパートに住む同業者にも、よく行くコンビニの店員さんにもお願いした。こういうことをもう二度としたくないから、営業スキルを上げるべく話法とか商品知識をめちゃくちゃ勉強した。

どうにかこうにかクリアしたら、また次のふるいが待っている。また次。そしていつのまにか、じぶんが誰かをふるいにかけている側に回っている。しかたがないのだ。仕事の半分は「しかたない」でできている。

 

僕は、仕事においては常に対価以上の結果を追求するべきだし、そのために最善の努力をするべきだと考えている。なぜならプロだから。多くの場合、ひとは結果しか見ないから。極論、最高の仕事をすれば人間性は最悪でもいいとさえ思う。坂本龍一は友達がジャージで会いに来たら即絶交するらしいし、イチローは数十年カレーを食い続けてる変人だ。でも僕は教授のCDにお金を出すし、YouTubeイチローバックホームを見て元気になる。

しかたない、と判断を保留しないと、やれないことはたくさんある。こうして大人になっていくんだろう(達観しているひとはなんだか大人っぽく見えるでしょう?)。それでも、じぶんの嫌気のコップに雫は一滴ずつ溜まっていく。そして僕の場合、今年になってついに水はあふれてしまった。「仕事辞めたいなぁ」と「仕事を本当に辞めよう」の間には大きな断絶があるが、このようにして飛び越えるんだなぁと実感した。

辞めるとき、何か嫌なことがあったのか、と上司に何度も聞かれたが、残念ながら人の心はそう簡単にできちゃいない。なにかひとつの大きなきっかけだけでひとは行動しない。営業マンとしてかなり頑張ったし、若手社員代表として内定者懇談会に4回くらい呼ばれたりしたから成績的には悪くなかったんだろうが、じぶんの大切なものが何なのかどんどんわからなくなっていた。

 

「ほしいものが、ほしいわ。」。じぶんのやりたいこと、じぶんの欲しいものというのはだいたい、他人がやりたがっていること、他人が欲しいものだ。忘れがちだけれど人生は有限だ。いましかできないこと、いましか行けないところ、いましか会えない人、いましか着られない服、いましか聴けない声や音楽…というのは確実にある。特に今年は感染症によって「何が大切なことか」ということが根底から揺さぶられたと思う。大切なものは後になってしかその大切さはわからない。大切だと思ったものがゴミだったり、ゴミだと思ったものが大切なものだったりすることはままある。そのなんやかやの集積で僕はなんとか立っている。いまやるべきだと思ったことをやって、いまがある。

 

会社や業界の未来が暗いというのは、まぁどこだって頭打ち感はあるんだろうけれど。なんだかよくわからない商品を作って、なんだかよくわからないままその契約ノルマが降ってきたり、商品性に納得のいかないものを手数料ありきで販売しないといけなかったり、そのくせバカみたいなビルを建てたり、そういう会社に対して疑問を正面からぶつけることなく、昔の権威を笠に着て威張っている上司や同僚がいたり。「ああ、この会社はもう長くないな」と思った。

 

そんな会社なので、商品性とか意味とかごちゃごちゃ考えず、先輩の言うことにとにかく従う体育会系的な人間が求められたし、実際そういう人が多かった。企業風土も実に昭和チックで、若手はなにかと余興や一発芸をさせられた。前田裕二とか岩瀬大輔とかが余興の大切さを説いているけど、どうなんだろう?いらなくない?

また、いまだに男尊女卑社会だから女性がホステスのように扱われる。地元のブライダル会社と組んで、新人の女性たちがウェディングドレスを着させられてバシバシ写真を撮られるという謎の忘年会もあった。そうしていればおじさん達が喜んだり飲み代をおごったりするので女性側も慣れていたりするのだが、「あんたら、それでいいんか?」と首を捻らざるを得なかった。そういうのおかしくない? という話は何度かしたけど、「お互いウィンウィンだからいいじゃん」みたいな感じで、この社風というか空気は変わりそうにない。しかたない、しかたない。

 

悪口ばかり書いたけど、一方で得られたこともある。この会社に入りたいという気持ちが強くなかったぶん、今までの人生だったらまず出会わなかっただろう素敵な人と交流できたり、良くも悪くも得難い経験をすることができたりした。体育会系に揉まれることで精神的にいくらかはタフになることができた。痩せたけど。

いくつかの取引先を担当させてもらい、社長さんと直に話をして様々な業界を知ることができたし、「孫を結婚相手に…」みたいなこともあった(もちろん丁重にお断りした)。

「自分に合った仕事に就くのも格好良いが、自分を仕事に合わせるのも有りだと思う」と『銀の匙』の大川先輩も言ってるけど、本当にその通りだ。「じぶんを大切にすべし」と矛盾しているかもしれないけど、そんな大切な自分をいったん捨て去ること、私を失くすこと。それはある程度経験を積んできた若手〜中堅には怖いことだけど、そんな底板を踏み抜く勇気を持つことで世界が広がる、ということを学べたというのは、やはり前職のおかげだ。

 

転職のためにやったことは…いくつかあるんだけど…もう疲れた。おなかすいた。気が向いたら書こうと思う。

今年もお世話になりました。来年はもっと良いことがありますように。

 

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