元気モリモリブログ

元気いっぱい

2020/12/29

この1年間いろんなことがありました。

から5ヶ月。いろんなことがありました。

 

転職し、鹿児島から福岡に来ました。

いまは事務職員としてノーストレスの日々を送っております。手当が厚く、給料も上がり、最高です。

 

転職活動していたのが4月〜6月、内定が決まったのが8月末、そこから退職、引越、新天地でお仕事なので、マジで怒涛のいろんなこと。いろんなことが怒涛。今年はコロナで大変な1年だったけど、個人的にも大変というか、忘れられない1年になった。

 

そこで、誰も求めていないかもしれないけど、じぶんの転職について書く。

あらかじめ断っておくと、これは転職についてあくまで僕個人が思ったことや行動したことであって、それらを整理しておきたいという気持ちによるものが大きい。だから、よくある「転職成功談」とか「転職メソッド」とかとは性格が異なるので、それらを期待してぜ〜んぜん役に立たなかったと言われても困る。

 

 

まず先に言っておきたいのは、転職というのはべつに偉いことでもなんでもないということだ。それは選択肢のひとつに過ぎないし、また仕事を続けるというのも選択肢のひとつに過ぎない。超ブラックとかパワハラが横行しているとかで一刻も早く離職したいとかならまだしも、「みんなも俺と一緒に転職しようぜ!」なんて無責任なことは言えない。それは転職という行為を他人を巻き込むことで正当化したいという、心の弱さでしかない。

 

なぜ僕が転職したかというと、入社当初から長く働き続けるつもりはなかったというのと、会社の置かれている状況と業界の行く末は暗いなと思ったこと、そして最後まで社風が合わなかったこと、の3つだと思う。

なぜ長く続けるつもりがなかったのか?それは、僕は僕を大切にしているからである。

 

あ!笑いましたね。でも、こう思っているのは本当で、「ずっとここにいるわけじゃない」「命まで取られはしない」と、おおげさにいえば自分に暗示をかけていないと、理不尽とやっていることのむなしさに押しつぶされそうだった。だから、下積みとして「とりあえず3年続けよう」と考えた。結果的に4年半在籍することになるのだが。

しかし、これくらいの力加減でよかった。数十年も続けるつもりはないから、短期集中で仕事を吸収しようと奮起できたし、煩わしい関係もシャットアウトすることができた。

 

 

民間だと当たり前だが、毎期、半端ではない量のノルマを課される。ノルマは、それを乗り越えるために計画を練ったり協働したりすることでスキルアップや成功体験につながるものなので、一概に悪いものとはいえない。しかし到底達成できないようなそれは、家族や友人にお願いセールスをしろというメッセージが含まれている。そんなことしたって一定期間経てばみんな解約するし、だいいちニーズに沿っていない。企業利益として何の意味もないことは誰しもわかっている。それでも課すのは「こいつはやれと言われたらやる人間か」のふるいにかけているからである。

僕は新人の頃どうしても件数が足りず、今日中に確約を取れと言われ、上司に睨まれながらほうぼうに電話した。このとき協力してくれた人たちには本当に頭が上がらない。同じアパートに住む同業者にも、よく行くコンビニの店員さんにもお願いした。こういうことをもう二度としたくないから、営業スキルを上げるべく話法とか商品知識をめちゃくちゃ勉強した。

どうにかこうにかクリアしたら、また次のふるいが待っている。また次。そしていつのまにか、じぶんが誰かをふるいにかけている側に回っている。しかたがないのだ。仕事の半分は「しかたない」でできている。

 

僕は、仕事においては常に対価以上の結果を追求するべきだし、そのために最善の努力をするべきだと考えている。なぜならプロだから。多くの場合、ひとは結果しか見ないから。極論、最高の仕事をすれば人間性は最悪でもいいとさえ思う。坂本龍一は友達がジャージで会いに来たら即絶交するらしいし、イチローは数十年カレーを食い続けてる変人だ。でも僕は教授のCDにお金を出すし、YouTubeイチローバックホームを見て元気になる。

しかたない、と判断を保留しないと、やれないことはたくさんある。こうして大人になっていくんだろう(達観しているひとはなんだか大人っぽく見えるでしょう?)。それでも、じぶんの嫌気のコップに雫は一滴ずつ溜まっていく。そして僕の場合、今年になってついに水はあふれてしまった。「仕事辞めたいなぁ」と「仕事を本当に辞めよう」の間には大きな断絶があるが、このようにして飛び越えるんだなぁと実感した。

辞めるとき、何か嫌なことがあったのか、と上司に何度も聞かれたが、残念ながら人の心はそう簡単にできちゃいない。なにかひとつの大きなきっかけだけでひとは行動しない。営業マンとしてかなり頑張ったし、若手社員代表として内定者懇談会に4回くらい呼ばれたりしたから成績的には悪くなかったんだろうが、じぶんの大切なものが何なのかどんどんわからなくなっていた。

 

「ほしいものが、ほしいわ。」。じぶんのやりたいこと、じぶんの欲しいものというのはだいたい、他人がやりたがっていること、他人が欲しいものだ。忘れがちだけれど人生は有限だ。いましかできないこと、いましか行けないところ、いましか会えない人、いましか着られない服、いましか聴けない声や音楽…というのは確実にある。特に今年は感染症によって「何が大切なことか」ということが根底から揺さぶられたと思う。大切なものは後になってしかその大切さはわからない。大切だと思ったものがゴミだったり、ゴミだと思ったものが大切なものだったりすることはままある。そのなんやかやの集積で僕はなんとか立っている。いまやるべきだと思ったことをやって、いまがある。

 

会社や業界の未来が暗いというのは、まぁどこだって頭打ち感はあるんだろうけれど。なんだかよくわからない商品を作って、なんだかよくわからないままその契約ノルマが降ってきたり、商品性に納得のいかないものを手数料ありきで販売しないといけなかったり、そのくせバカみたいなビルを建てたり、そういう会社に対して疑問を正面からぶつけることなく、昔の権威を笠に着て威張っている上司や同僚がいたり。「ああ、この会社はもう長くないな」と思った。

 

そんな会社なので、商品性とか意味とかごちゃごちゃ考えず、先輩の言うことにとにかく従う体育会系的な人間が求められたし、実際そういう人が多かった。企業風土も実に昭和チックで、若手はなにかと余興や一発芸をさせられた。前田裕二とか岩瀬大輔とかが余興の大切さを説いているけど、どうなんだろう?いらなくない?

また、いまだに男尊女卑社会だから女性がホステスのように扱われる。地元のブライダル会社と組んで、新人の女性たちがウェディングドレスを着させられてバシバシ写真を撮られるという謎の忘年会もあった。そうしていればおじさん達が喜んだり飲み代をおごったりするので女性側も慣れていたりするのだが、「あんたら、それでいいんか?」と首を捻らざるを得なかった。そういうのおかしくない? という話は何度かしたけど、「お互いウィンウィンだからいいじゃん」みたいな感じで、この社風というか空気は変わりそうにない。しかたない、しかたない。

 

悪口ばかり書いたけど、一方で得られたこともある。この会社に入りたいという気持ちが強くなかったぶん、今までの人生だったらまず出会わなかっただろう素敵な人と交流できたり、良くも悪くも得難い経験をすることができたりした。体育会系に揉まれることで精神的にいくらかはタフになることができた。痩せたけど。

いくつかの取引先を担当させてもらい、社長さんと直に話をして様々な業界を知ることができたし、「孫を結婚相手に…」みたいなこともあった(もちろん丁重にお断りした)。

「自分に合った仕事に就くのも格好良いが、自分を仕事に合わせるのも有りだと思う」と『銀の匙』の大川先輩も言ってるけど、本当にその通りだ。「じぶんを大切にすべし」と矛盾しているかもしれないけど、そんな大切な自分をいったん捨て去ること、私を失くすこと。それはある程度経験を積んできた若手〜中堅には怖いことだけど、そんな底板を踏み抜く勇気を持つことで世界が広がる、ということを学べたというのは、やはり前職のおかげだ。

 

転職のためにやったことは…いくつかあるんだけど…もう疲れた。おなかすいた。気が向いたら書こうと思う。

今年もお世話になりました。来年はもっと良いことがありますように。

 

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2020/7/4

 

この1年間いろんなことがありました。

職場の異動があり、2回引越をし、車を売り、2回転職の機会があって結局転職せず、忘年会の余興で松田優作になり、恋人と別れ、27歳の誕生日を迎えました。

 

何かあるたびに奮闘がありましたが(業者を呼ばず自分達だけで引越をした結果疲労で高熱が出たり、出版社への転職の面接の際は本の企画を100本考え10本に精選して持ち込んだりなど)、しかしそれを詳述したところで、それらは僕にとっては個別の出来事でも世間一般からすれば「よくあること」であって「で、何?」「オチは?」と言われるに決まっているし、そもそもそれらに付随する後悔がフラッシュバックして枕に顔を埋めて叫びたくなる。こうなったらもう僕の好きなことについて書き散らすことにした。オチなどない。僕だけが満足すればいいのだ。やほほ。

 

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というわけで、ゲームの話をする。

いまはもうほとんどゲームをしないけど、昔はゲームばっかりやってた。

 

 

僕は「MOTHER2」というゲームが大好きで、たぶん人生で一番やりこんだとおもう。これの認知度って世間一般的にどれくらいのもんなのかわからないけど、ほとんどの人にとってはスマブラに出てくるキャラクターである「ネス」のゲーム、くらいではないだろうか。

 

スーパーファミコンのソフトで、もう26年前に発売されたものなんだけど、今年になって「ほぼ日MOTHER PROJECT」というのが始まり、公式からトリビュートコミックやTシャツなんかが発売されたりして、じつはいま「MOTHER2」がとてもアツいのである。僕もTシャツ欲しかったんだけどすぐ完売してしまったので、再販を待っている。

 

ゲームボーイアドバンスでリメイクされて、いまは3DSとかWiiUとかのバーチャルコンソールでできるのかな?影響を受けたと公言する有名人も多くて、星野源なんかも10年前くらいに公式サイトでコメントしたりしている。

 

僕は小学校3年生くらいのときに初めて触れて、そこからやみつきになった。きっかけはその音楽の良さだった。夕食時に「良い音楽だから」と家に1台しかないテレビを占拠して、ゲーム画面を家族に見せつけるイタい子になった。

 

ちなみに子どものときはスーファミのソフトだけでもドラクエ、FF、ロマサガ天地創造聖剣伝説バハムートラグーン、マリオRPGクロノトリガー等々、のちに名作といわれるゲームをやってたわけで(クロノトリガーについてはNHKの番組で宮野真守が言及してたね)、我が家のゲーム環境は良かったといえる。良かったといえるのか?まぁゲームしすぎてめちゃくちゃ目が悪くなった。

 

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MOTHER2の内容。

MOTHER2はどんなゲームかというと、基本的には普通のRPGで、じゃあこのゲームの何がそんなに良いのかっていうと、これを一言で言うのがなかなか難しい。だからひとに勧めづらい。なぜか。

(以下、ネタバレ)

 

 

 

主人公の家の裏山に隕石が落ちてくる。

「隕石を見に行こうぜ!」、隣に住む悪ガキ「ポーキー」が主人公を引っ張り出す。そこから、主人公の世界を救う冒険が始まる。

ポーキーの両親は粗暴でネグレクト気味。弟ばかり可愛がって、ポーキーにはブタ呼ばわり。ポーキーは敵と組んで揉め事を起こしたり、仲間を拉致したりして、主人公の冒険をずーっと邪魔してくる。そして、最終的には準ラスボス的な存在になってしまう。

 

物語の終盤、主人公の深層心理の世界を進むところがある。そこでこのポーキーが出てきて話すことができる。その会話の内容は、主人公を羨ましがるもの。「お前はいいよな。おれなんかだめさ。」「でも友達でいような。」云々。

 

主人公の心の中のポーキーが、主人公を羨ましがる?

 

主人公はポーキーに対して優越感を抱いていたのか?

主人公の他に友達のいないポーキーが主人公に邪魔ばかりしてくるのは「かまってほしい」のあらわれだと感じていた?

それなのに放っておいたのか?

主人公は作中、ヒーローとして描かれるけれど、ポーキーは人々に嫌われ、悪に身を落とすことになる。主人公は正義なのか?悪ってなんだろう?

 

 

ポーキーは続編である「MOTHER3」にも異形のものとして登場する。動物を化け物に改造したり、母親に似せたロボットを大量に配置したり。反面、「2」の主人公からもらったヨーヨーを大切に保管してたり…「3」は通奏低音としての物悲しさ、やるせなさが「2」よりも強調されていて、個人的にはちょっとしんどい。

 

 

とはいえ、「MOTHER2」はいわゆる「鬱ゲー」ではない。残虐な要素なんて全くない。敵を倒した後も「たおした!」「ころした!」ではなく、「われにかえった」「つよくたしなめた」「おとなしくなった」等と表示される。言葉を大切にしている。

 

 

そして、素敵な音楽、独特なセリフ回し、ふんだんに使われている映画・洋楽のパロディ、オマージュ。作中、黒スーツの2人組(ブルース・ブラザーズ)や、黄色の潜水艦(ビートルズ)が出てきたり、ザ・フーのある曲のイントロまんまのBGMがあったり。他にもニュー・シネマ・パラダイススタンド・バイ・ミー、BTTF…。僕なんかは本家より先にこっちから知ったものです。

 

 

小ネタも多い。

冒頭でキャラの名前を決める際、「あなたにとってカッコいいと思うものは何ですか?」と問われる。作中、主人公が強力な技を身につけるとき、ここで答えたものがその技の名前になる(憎いぞ!)。僕は小3当時、時の総理大臣・小泉純一郎になぜか心酔していて、「コイズミ」と入力した。作中でコイズミという技を覚えたときにはちょっとウケてしまった。

 

また、ゲームの途中でプレイヤーの名前を入力することになる。これはクリアした後のスタッフロールの最後に、「Player」として自分の名前が出てくる仕掛けとなっており、「自分もこのゲームに参画してるんだ!」と感激した記憶がある。これは主人公に自分を投射せず、あくまで作品を支えるひとりとして認識させるものであり、そういった意味で非ドラクエ的といえる。知らんけど。これもひとつのユニーク。

 

 

つまるところ、「MOTHER」シリーズは派手な演出や単純明快なストーリー、といったようなエンタメ的面白さではなく、物語に通底する「暗さ」や小ネタのユニークさが醍醐味であって、そこがカチッとハマる人とハマらない人がいるとおもう。だから、ひとに勧めづらいのかもしれない。

 

少なくとも僕はこのゲームを中心として、糸井重里を知り、洋画・洋楽を知り、そして鈴木慶一ムーンライダーズYMO村上龍…とどんどん知識が派生していって、いまの自分をかたちづくったのはたしかだ。

そういうわけで、「MOTHER2」は僕にとって大切なゲームである。よかったら、遊んでみてください。

 

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(↑作中で僕の一番好きな、雪だるまの台詞。場所は主人公の心の世界。画像は拾いもの)

二十代も半ばというのに

 

できるだけ働きたくないし

めんどくさいことは

めんどくさいからしたくない

嫌な思いなんか1mmもしたくない

基本的にめちゃくちゃ褒められたい

ずっと本読んだりゲームしてたりしてたい

 

 

でも働かないといけない

労働の是非とかありかたとか

そういうのはともかくとして

とりあえず

いまの社会のシステム上

働かないと食っていけない

 

 

だから働くのであるが

本読んだりゲームしたりする

この貴重な時間を

割くわけなんだから

働くことのなかの「嫌さ」を

できるだけ取り除きたい

めんどくさいけど

嫌な思いしたくないし

 

 

だから例えば

高級なスーツとか靴とかを身につけたり

可愛い文房具を使ったりして

皆それぞれの方法で

気持ちをアゲて

仕事の嫌さを減らそうとするわけじゃない

 

 

しかし

嫌な思いをたくさんしてる人の方が「偉い」

と考えている人って

わりと多くいて、

そういう人たちにとっては

仕事のなかの嫌さを減らすという行為は

まさにタブーなんですね

 

 

まぁ「嫌な思いしてます!」

とアッピールしていればそれは

「これ以上私に嫌な思いさせないで下さい!」

という表明にもなる

嫌な思いを盾にして

さらなる嫌な思いを防いでいる

 

 

仕事なんてしたくないが

どうせしなくちゃいけないなら

できるだけ楽しくしたい

楽しくするにはやっぱり仕事が

上手くならなくちゃいけない

 

 

だけど、

嫌な思いをしてる方が偉いという

ヒエラルキーの中ならば

そんなこと考えること自体

御法度、退場なんですね

 

 

結果そこに何が残るかといえば

「嫌な思い」だけですよ

地獄じゃない?

 

 

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話は逸れるけど

 

文句言うのって簡単で、

「ここがダメ」「ここが変」って

ツッコミを入れるのって

誰でもできるんですね

 

 

昔 就活のとき

某広告代理店の課題で

「外国人に角ハイを

宣伝するにはどうすればいいか」

というのが出され

 

 

こんな大手広告代理店を受ける人たちは

きっとみんなスゴイ人に違いない

→きっとスゴイ奇想天外な解答が

ゾロゾロ出るに違いない

→僕には到底無理だ…

とサッサと逃げ出したんですが

 

 

採用されていたのはけっこう普通な案で

 

 

「こんなもん誰だって考えつくわ」

「ってか日本語としておかしくない?」

などと一丁前に寸評してしまったのですが

 

 

「誰だって考えつく」のに

少なくとも僕は考えつかなかったわけで

 

 

「誰だって考えつく」ことを

一番最初に考えついたヤツが

一番エライのです

 

と思いました

 

 

とにかくまぁ文句言ってないでさ

オモチロイこと考えていかない?

だめかな

 

 

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いちおう言い添えておくと

嫌な思いをして

何かを成し遂げることは

それはとても立派なことだし

賞賛されるべきことだ

 

 

だけど単に

嫌な思いをした!→偉い!

というのは

ちょっと単純過ぎやしないか?

 

 

タチが悪くなってくると

 

私は嫌な思いをした!

→お前も嫌な思いをしろ!

と恐怖の呪い攻撃をしかけてくるようになる

 

 

結果そこに何が残るかといえば

「嫌な思い」だけですよ

地獄じゃない?

 

 

 

嫌な思いの連鎖って

どうやったら断ち切れるんだろう…

 

 

思うに

 

 

人って

ほとんどの場合

もう二度と会うことないじゃないですか

 

 

「二度と会わないんだから

嫌な思いをさせてもいい、

自分がどう思われたっていい」

 

と考えているんじゃないでしょうか

 

 

二度と会わないんだから→丁寧に振る舞おう

 

 

となったらステキですよね

ステキ社会到来です

 

 

このあいだ

車で右折待ちのとき

藤岡弘、似の営業マンが

ビシッッと道を譲ってくれたので

嬉しくなっちゃって

その日はステキDayでした

 

 

みんなでステキDays、つくっていこうな…

 

 

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いやしかしまぁ

嫌な思いをすること

嫌な思いをさせてしまうことって

どうしたってあるしね

それをヤダヤダ言ってると

子どもみたいなんだけども

 

 

マシな大人になりたいやね

マシな大人になりてぇんだ俺は

 

 

 

 

 

 

 

最近本読んでません

忙しくて

だめですねぇ

 

 

加藤典洋橋本治

いなくなってしまって

これを機会にというのも変だけど

いまさらながらその人たちの

積ん読に手を伸ばしております

 

 

読みさしだけれども

橋本治『「わからない」という方法』

とてもおもしろいです

 

 

ステキの国の到来はすぐそこ…

 

 

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珈琲1杯250円を渋るくせに300円の辛子明太子を平気で腐らせる


じつは先週の木曜から今日まで休んでました。


休み、消化しないといけないので



ホントは3月に休んで青春18切符で東北らへんまで行ったりしたかったんですけど


上司に相談したら
「期末に何言ってんだ?バカなのか?」と言われたので
「ですよね」となった。




休みの間何してたかといえば、スマホ換えたり1人で映画見たり喫茶店で本読んだり大学に潜り込んだり



休み、最高〜!永遠に休んでたいわ。

遠くに行きたかったけれども



映画といえば「七つの会議」よかった

将来の夢は野村萬斎です




大学もおもしろかった。

"知"、集まってましたねぇ



(なんか大学んなかに家があった。何故)





構内をボケ〜と歩いてたら「ちょっとあなた!」と大学の人に止められて

大学入試会場だからこれ以上先に行くなって怒られちゃいました


テヘペロでござんす




ちょっと前まで僕だって大学生だったのにねぇ

ウソみたいですね



そこらへん歩いてる大学生と

自分との間に決定的に溝があるのを感じました





大学では生協で本買って

よくわからんとこで読んで帰りました



書店は「科研費獲得のメソッド」みたいのが

目について心中察してしまった。

どこも大変なのね



大学については最近

吉見俊哉氏の新書をいくつかパラパラ読んだばかりで、

考えることが多いのだけど


ズラッと並んだ大学運営関係の専門書を見ると

うーん勉強すること多いなーと感じた次第です







え〜〜〜〜〜〜〜〜〜
転職の話を書きます

もう3ヶ月くらい前のことになるけど



転職できませんでした。以上!





筆記試験を受けに東京まで行ったっていうのを以前書きましたが


それがまぁなんとか通りまして


面接を受けにまた東京行ってきたんですが



落ちましたね〜〜〜〜〜〜




金曜まで普通に仕事して
土曜朝一の飛行機乗って東京行って面接受けて
夜友達と飲み行って
日曜朝一の飛行機で帰って
美容室行って←
月曜から普通に仕事っていう弾丸スケジュール。
キツかったです。


美容室で「お疲れですね」と言われたので

「朝まで飲みで…」と無駄に嘘をついてしまった。





東京ではムーミンパパ氏(@0god_bless_me0)と飲み行ってきました



ムーミンだってチェックインくらいできるのだ。)




二軒目はサイゼ行ってグラスワイン馬鹿みたいに飲んだ。


「二軒目にサイゼ行ってグラスワイン馬鹿みたいに飲む」ことってある?




ムミパパと喋ってたら

大学生以降使ってなかった脳の部分がムズムズ使われて

脳が筋肉痛みたいになりました




飲んでて、そろそろ終電かもしれんし帰るか〜つって

ボケ〜と駅まで行ったらホントに終電で焦りましたね


知らん土地で酔っ払うのはよくない!



あと新宿駅の「地下なのにハトいっぱいいるゾーン」は

よく見たら地下じゃなかったですね
普通に地上でした。クルックー!




また飲みに行きたいところ。今度は福岡ですネ




思わず撮った駐車場料金。







た、高ェ〜〜!

鹿児島は100円/1hとかそんなんだぞ!



生まれた土地って重要だと思うんですよね



たとえば

東京じゃなくても大阪、福岡どこでもいいですけど


生まれ育ったところに当然に電車が、移動手段としてあって

もう3〜5分おきに来る



かたや僕は、中高生んときはチャリだったし、

いまはほとんど車で移動

電車はあるけど来るの20〜40分おきだからあまり使わないし



それだけの環境の違いでも、ひとの考える根っこの部分というか、

スタート地点って変わってくるんじゃないか?



少なくとも、「電車」というものに対するイメージって都会と地方でだいぶ異なると思う


知らんけども。


駐車料金や電車の中高生をみてふと考えました。



いや〜、トキオ、最高。また行きたいです




というかまぁ
この転職活動から帰った3日後



かねてから計画していた旅行で
また東京行ったんですがね!!!





東京へ行って帰ってまた行って帰ってまた行って

何してんですかねホントに。

旅のしおりまで作っちゃってまぁ



創英角ポップ体で作ったのに、印刷したら

なぜか全部明朝体になってしまったのが唯一悔やまれる







採用面接の内容はあんまり覚えていない。



見城徹とか河出の日本文学全集とか話したのがいけなかったか?やっぱり



他社やん!




面接官いわく

僕が一番遠くから来た人とのことですごい労われたし

交通費もいただいたのでとてもありがたかった。


まぁ落ちたけど。








我ながら、なんで転職したいんだろう、と思うんです


なんでなんだろう?



こんなんだからそら面接も受からんわなぁ





この仕事をむこう30年できるかといえば、できねぇなぁと思う


でも、だからといってそれがいまの仕事を蔑ろにしていい理由にはならないし


そして、僕の尊敬する人たちが皆例外なく働き者だったり仕事ができる人だったから、僕もそうありたい


そんな感じで日々仕事を頑張っているわけで



でも、このままでいいのか…?とモヤモヤもしてたりして


今回衝動的に応募しちゃったのかしらん




まぁ転職することが絶対に良いこととも思いませんけどね




「転職しろ!」
「転職すれば良い人生が待ってる!」

という声は毎日聞こえてきますが


なんなら


「過払金を取り戻せ!」
「郊外にマンションを買え!」
「朝10時新台入替!」


というのも聞こえてきますが




うるせーー!!と一蹴してやりましょう



自分のことは自分で決めなきゃネ(所ジョージ風)




ひとつの仕事を黙々とずっとやってくひとだって

とんでもなくすごいですしね




みんな仕事ってどう思ってんのかな?


どうなん?モチベーションとかさ。



そのうえ税金やら年金やら車検やら共益費やら払ってさ。


偉すぎですよ皆さん。ホントに



なんやねん「共」の「益」の「費」って!




しかし、「仕事なんて時間の無駄、人生楽しまなくっちゃ!」

みたいなのも、う〜ん?となってしまう


仕事の世界で得られたこともたくさんあるし。




しかししかし、ひとはいつ死ぬかわからないんだから、

今を犠牲にしないで全力で人生を楽しむべきだとも思う…





難しいですね



「仕事って何だろう」とかゴチャゴチャ考えてる時点でダメなんですね



でも、やるんだよ!(©︎根本敬)の精神やね。






仕事の本ってアホほどあるからなぁ



ビジネス書の類いってあんま好きになれない。



読んですぐ役に立つ!と謳うものは、すぐ役に立たなくなるし

(↑橋本武先生のパクリ)



「人を動かす◯◯」みたいなのも、ひとを何だと思ってるんだ!と頭に来るしなぁ






ヨッピー『明日クビになっても大丈夫!』はおもしろかった。


まぁ、「明日クビになっても大丈夫なように、今のうちに行動しとけ!」

っていう内容だったからちょっと紛らわしいけれども



よければ読んでみてください。







ちなみに、面接の不採用通知

額に入れて部屋に飾ってます


意味わからないでしょう



これを見るたびに悔しさが思い出されて、

エネルギーがメラメラと湧いてくるんですね


かの家康公もやってたやつ(「顰像」でググれば出てくる)




この経験を忘れない。

何につながるかわからんけど




これからも御社の書籍のファンだぜ。

ヒッヒッヒ。



クリエイティブって何だろう

クリエイティブって一体何なんでしょうね。

もうホントぜんぜんわかりません。


よくコピーライティングの本なんかには「人とモノとの関係性をつくる(=クリエイトする)こと」みたいに書いてありますが。


「俺にこのペンを売ってみろ」と言われたら、あなたはどうやって売るか?「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」に出てくるあまりに有名なやりとり。人とペンを結びつけるのはクリエイティブの為せる技だ。



それは俺には関係ねぇぜ、って思ってる人に、「いや、あなたに関係あるんですよこれ!」と言うこと。これがどんなに難しいか。クリエイティブ=個性的!ステキ!カッコイイ!みたいな単純な話ではなく、とんでもなく泥臭いことだと思う。


道でお姉さんがいきなり笑顔で手振ってきたと思ったら、クレカの勧誘だった。僕とクレジットカードという、無関係なもの同士をつなげるという意味では、クリエイティブな行為だ。めっちゃくちゃウザいけど。



クリエイティブな物って何だろう?
大福にいちご入れてみよう!→いちご大福、とか、針金を曲げてみよう!→ゼムクリップ、とか、だろうか。


ゼムクリップ考えた人ってマジでスゴイと思う。だってこれただの針金の棒だぜ。それを曲げただけの物を人がお金出して買ってんだもん。よくこんなん思いついたな〜って思いながら使ってます。


こういうのって、誰にでも思いつけるけど、誰にも思いつかないですよね。クリエイティブとは矛盾の産物ではないか。何かと何かの間に補助線を引くということ。橋渡しをすること。伝えるということ。


では、伝えたことが「わかる」というのはどういうことなんだろう?という泥沼にはまっていく。



僕は明治時代の西洋音楽受容の過程を卒論のテーマにしたんですが(内容はクソ&クソ)、当時の文献を見ると、もうそのときから「音楽がわかる、わからない論争」をしてるんですね。
「楽器が弾けない人は音楽を本質的に理解できていない」「洋楽は何言ってるかわからんけど素晴らしさはわかる」みたいの。


こういうの、現代の2ちゃんとかYouTubeのコメント欄とかでもしょっちゅう見ますよね。
150年前からおんなじようなことをずーーっと言い合ってんです、私たち。もうそろそろ「わかる」ということがどういうことなのか、前に進めてもいいのではないか?



蛇口をひねれば水が出る。あれどういう仕組みなんですかね?しかし仕組みをググって調べて、それは「わかった」ということなのだろうか?とも思うんです。そしてそのまま、わからない仕組みに囲まれて日常を過ごしている…。




で。


伝えるためには、最低限の体裁が必要だ。コードを押さえないと、どんなに個性の発露だ!と言ったところで誰にも理解されない。


「理解される」という手続を踏む必要があるのだ。では誰が踏むのか?それは他人だ。だから「わかる人だけわかればいい」「これがわからない奴は無能」みたいなのはもう、そいつのクリエイティビティ敗北宣言である。


伝えるために徹底的に手を尽くせ。「わかられない」という経験が重要だ。


何も文章のみが手段ではない。音楽でないと伝えられないこともあるだろうし、絵じゃないと伝えられないこともあるだろう。料理じゃないと、TikTokじゃないと、その他にも、色々。どれを選ぶのかはあなた。それが「個性」なのかなぁ。


そこまでして伝えたいことが自分のなかにあるのか?
しかも誰かに何かを伝えなくたって、ひとは生きていける。なぜそうまでして、誰かに何かを伝えたいんだろう?なぜひとはクリエイティブでありたいんだろうか?


しかも、伝えたいことが伝わらないばかりか、意図していないことが伝わったりする。
なんなんだろう、本当に。
もうぜんぜんわからない。
クリエイティブって何なんですかね?



そんなことばっかり考えているし、仕事にはまったく活かせそうもない。




小林秀雄が、わかるということとはつまり…ということを書いていた。『学生との対話』という本なんだけど、この間売ってしまった。何て書いてあったかなぁ…。

文庫版がたしか新潮文庫から出ていたし、おすすめ。

「講演は絶対に録音するな!」と言っていた小林の目をかいくぐって録音した講演録。
そこまでして記録したい、後世に残したいっていう講演って、ある?

お風呂最高ブログ

こんにちは!


皆さん、お風呂に入ってますか?
お風呂って最高ですよね。


いつもシャワーで済ませていたんですが、
たまには!と思って浴槽に湯を張り、
入浴剤を入れて浸かってみたんです。


すると!


疲れが取れる〜〜〜〜!!


身体が嘘みたいに軽くなる😍😍


ちなみに使った入浴剤は「バスソルト」!


皆さんも是非使ってみて、日々の疲れから解放されて下さい!







アフィリエイトで稼ぎて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!
俺は!!!!!!アフィカスになる!!!!!!!!!ドンッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

実況!パワフルプロ転職

 

個人と組織が戦ったらまず間違いなく組織が勝つ、といったことを村上春樹がどっかで書くか言うかしています。

 

ひとりひとりが社会に対して屹立しているわけではなく、何か大きなシステムの中に組み込まれているような。「わたし」は既に決定されたことをただなぞっているような。誰かの手の平で踊らされているような。

夥しい数の人間がいる。でも、たとえば信号待ちで隣に立っているひとの、その人生に、僕はまったく関わることがない。できない。夥しい数の人生。そのなかのひとつでしかない自分。そう思うのもまた、誰かに…

 

とかそんな陳腐なことを、東京では考えたり。

 

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金曜から日曜にかけて東京にいました。

 

何故か?そう、転職活動のために!!

(もし同僚が見てたら、会社には内緒にしててください!お願い!)

 

某出版社に履歴書を送ってみたら通ったので。筆記試験を受けに行っとりました。

人生がかかった試験、しっかり対策をしたかったので、前日には東京入りしてたけど友達と会ったり飲んだりはぐっとこらえました。

 

出版社の筆記試験って独特で、「日本三大随筆は?」「今年のオリンピックで日本が取ったメダルの数は?」「次のうち芥川賞作家ではないのはどれ?」などととにかく何が出るかわからない。一般常識と時事問題を頭に叩き込んで臨んだわけですが、

 

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(新宿のカフェに10時間くらいいた。)

 

試験はそんなん全く出ず。漢字の書き取りと、「出版不況のなかで本をどう売るか」を問われる試験でした。僕はYMO吉本隆明についてめちゃくちゃ書きまくった。受かるかな〜

 

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(試験会場のそばの神社で神頼みした。手前のネッコは呼んでも全然来てくれなかった)

 

 

試験が終わったので、念願の二郎を食べに。

 

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泥沼スープに輪ゴムみたいな麺。チャーシューはなんかシーチキンの味がしました。エス・イスト・グート。

急に「トッピングどうします?」と訊かれたので「えっ、あっ、普通で…」といったらこんな感じで出てきました。初見にはつらすぎる注文体系。

隣の席の大学生が「全部マシ、脂カラメ、脂は塊を入れてください」という頭のおかしなやりとりをしてた。

またリベンジしたい。

 

その後、新宿のブックオフへ。西口店と東口店行ったけどどちらも品揃えが神過ぎ。『大森荘蔵セレクション』『天の川銀河発電所』『笹まくら』『記憶に残っていること』『さして重要でない一日』『ディスコ探偵水曜日』…全部買いたかったけど旅費で財政破綻しかかってるので我慢。

結局、堀江敏幸とか宮台真司とかの文庫本を購入。

 

わたし、旅先で本を買うのが好きで。

3年前の就活で講◯社に行ったときは村上龍限りなく透明に近いブルー』、◯潮社に行ったときは長田弘『世界は一冊の本』を買い、読みながら空港泊したもんです。関空では『旅のラゴス』を読んだなぁ。

大塚のカプセルホテルに泊まったときは村上春樹の『アンダーグラウンド』をずーっと読んでた。ホテルの煙草臭い、きったない待合室で。

 

僕は過去のことをすぐ忘れてしまうので、「あのときあの場所であの本を読んだ」と、マテリアルに結びつけないとだめなんです。

でも、本の内容と旅の思い出が混ざりあって、なかなかいいもんですよ。

 

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夜は泊めてくれた友達と飲みに行きました。高校んときの友達。卒業して数年経っても付き合いがあるってほんとにありがたい。

 

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(偶然にも「シング・ストリート」のエイモン君と相席に。エイモン君執拗にアブサンを勧めてくるので辟易しました。)

※エイモン君↓

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東京では自分の存在をアピールできない人は蔑ろにされますね。人が多いからって人間の価値は変わらないはずなのにね。マジでおのぼりさんの感想だけど。でも友人達はしっかり生きていて、お母さんは安心しました。

 

日曜は朝4時に起きて新宿へ。駅地下にハトいっぱいいて「ハトいっぱいいる〜〜!どうして〜〜〜〜?!」ってなった。バスタ新宿の場所もわからんしどこのコンビニもトイレ使えないしで終始やられっぱなし。

 

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7時半発の飛行機に乗って鹿児島へ。朝東京にいたのに夕方には鹿児島のイオンにいたので「あれ?俺いまどこにいるんだ?」ってなるね。

 

試験が通れば12月に面接。普通に落ちたらウケるけど、なんとか通ってまた東京に行きたいやね。転職活動についてはまた追々書きます。どうか会社には内緒にしててくれ。(じゃあ書くなよ)

 

あ、本の紹介。こうやって本ブログにしていきたい。

 

今回は移動中、くるりを聴きながらショーペンハウアー『読書について』を読んどりました。ショーさんずっとイライラでワロタ。読書は無条件に良いものと思ってる人はびっくりする内容かもしれない。「思想本来の息吹は、言葉になるぎりぎりの点までしか続かない」から、思想がゴミクズ化した本なんか読むな!自分の頭で思索を深めろ!ヘーゲル死ね!とか言ってる。頁数も少ないし読みやすいです。

 

よければ、読んでみてください。

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4334752713/ref=tmm_pap_title_0?ie=UTF8&qid=1542595316&sr=8-2

 

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(記事タイトルは某ツイ廃パパのブログからパクりました。本歌取りってやつですね。)